言葉を発信するということ

昔、とある出版社の説明会に行ったときに聞かれたことがある。

「もし週刊誌の部署に配属になったらどうする?」

うーん、と考えた。

実際に週刊誌の部署の人が出てきて、「これは社会に必要とされている仕事なんだ」というような話をしていた。

そのときは、確かにこれも仕事だし、出版社で働きたいなら覚悟してやるしかないんだろうなと、思った気がする。


今、何かと週刊誌の報道が話題になっていて、

ジャンルは違うものの一応書き手のはしくれとして、色々考えてみた。

たぶん今なら、私はそういう仕事はできない、と言えるだろう。

もちろん一口に週刊誌と言っても記事の内容はさまざまで、以前いた編プロでは週刊誌の仕事も受けていたのだけど、「そういう」というのは、プライバシーに踏み込んで、人を傷つけるような記事を書く仕事のこと。

必要とする読み手がいるのかもしれない。

でも間違いなく誰かを傷つけるような言葉を、自分は書きたくない。


というのも、私はSMAPとマイケルジャクソンが好きで、

これまで彼らに対する色々な記事を読んできて、

ほんとうに傷つくというか、憤るような気持ちになったことがあって。

誰かの心を踏みにじるような、それを「娯楽」を理由に発信していいとは思えない。

言葉には責任が伴う。

「予測できなかった」では、責任が無さすぎる。


ただ、匿名で騒ぎ立てる世間の風潮の方が、本当は週刊誌よりも怖いと思うのだけど。

責任が伴わない。だから暴走する。

その言葉を発信する先に、傷つく誰かがいることを考えてほしい。


あまおと

ライター、塩井典子のブログ。 一年滞在したフランス・ストラスブールの記録、ライターの仕事のこと、 子育てのことなど。

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